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仁保の位置と歴史

 仁保の位置や歴史をご案内します。

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仁保の概要

 仁保地区は本州の西端にある山口県山口市。その中部に位置する人口3500人の地域です。 周囲は美しい山々に囲まれ南北16Kmに亘り仁保川が流れており、その両岸には地味豊かな水田が広がっています。最も近い空港は山口宇部空港。最も近い新幹線の駅は新山口駅。最も近い高速道路のICは、 中国道の山口IC、または徳地ICになります。

 

仁保の位置

 仁保地区は山口市中部の山あいに位置し、南北16km、東西8km、面積72キロ平方メートルでその80パーセントは山林で、峰から流れ出した渓流は四季の彩り豊かな景勝地をつくっています。

 地区の中央を流れる仁保川の両側には水田が広がり、良質米の産地として知られています。また一貫野地区で栽培されている露地菊は色鮮やでブランド品として有名です。下郷地区の山の斜面には果樹園があり「もも」「ブドウ」の産地です。シーズンには観光果樹園に多くの観光客が訪れています。

  道路網は、国道376号線が山口宮野から徳地掘方面へ横断し、県道山口鹿野線が仁保川に沿って縦断しています。国道376号線との交差点には道の駅「仁保の郷」があり農産物の直売所を始め諸施設があり、都市と農村との交流拠点としての賑わいを見せています。

 日本で唯一、世界でも最大級の衛星通信施設であるKDDIのパラボラアンテナがあり、センター内の見学施設であるパラボラ館は多くの見学客が訪れています。平成22年9月に、道の駅に隣接して交流と活性化の拠点となる「仁保地域交流センター」がオープンし、ワンストップサービス機能の充実が図られました。

仁保の風景
仁保の風景

 

仁保の歴史

 仁保地区は古代土器などが出土するなど古くから人々が暮らしていたことが知られています。歴史的には、中世・鎌倉時代(1197年)に平子重経が地頭職として仁保に赴き、以来約380年の長きにわたって、平子、仁保、三浦と氏称を変えながら、統治してきました。

 江戸時代になると上郷村、中郷村、下郷村にわかれていましたが、明治22年に合併して仁保村になり、昭和30年に大内町となり、昭和38年には山口市となって現在に至っています。

 この仁保地域では昭和30年代後半から過疎化の波が押し寄せ学校の児童・生徒数が減少し、中学校の統合問題が起きました。そこで過疎化を防ぐために昭和45年、自治会が中心となって地域の全組織参加の「仁保地域開発協議会」が設立され地域づくりが始まりました。

  この協議会では「近代的いなか社会の創造」を目標に生活と生産の環境整備と人情豊かなむらづくりに取り組み、道路網は国道、県道、市道、農道の整備が進められました。圃場整備は昭和52年に始まり、現在では地区の約90%に相当する農地が整備さています。

 また、農業集落排水事業は平成9年から進められ、現在では地区のほとんどの世帯が集落排水の恩恵を受けています。 このように地区住民が自ら参加した地域づくりが認められ、平成13年「第40回 農林水産祭」において「豊かなむらづくり部門」で天皇杯を受賞しました。

 

仁保の映像

 山口市仁保 彩り豊かなむらづくり 仁保地区県営ほ場整備事業の歩み

 

仁保の古地図

 享保十三年(西暦1728年)に作成された仁保全体の古地図です。

古地図 仁保村
仁保村

 享保十三年(西暦1728年)に作成された深野村の古地図です。


深野村

 


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